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身のまわりの「あたりまえ」を疑ってみる

わたしたちは「あたりまえ」に囲まれている

しらずしらずのうちに私たちはたくさんの「あたりまえ」に囲まれて生活をしています。

 

「普通はこうだよな」 「みんなそうしているから」

 

・・・こんな言葉で表現されるような価値観に、無意識に寄り添うように生きていることがあたりまえになっているなんて方も多いのではないでしょうか。

しかし、ちょっと立ち止まってみてください。そんな「あたりまえに」が知らない間にプレッシャーになり、辛さや苦しさに繋がっているなんてことはないでしょうか?

 

 


人生の段階で出会うあたりまえ

「こうあるべき」「これが普通」という価値観は私たちは小さいころから人とのかかわりの中で自然と受け取っています。

 

最初にあたりまえに出会うのは、家族です。

そこでは、家族内のルールや生活習慣のルール、対人関係や自分の捉え方の基礎を受け取ります。

 

そして幼稚園・保育園や学校に入ると、友達との付き合い方や、集団行動のルール、

社会に出ると、会社・組織の常識や社会人としてのマナーなど、

人生のステージや置かれる場所・環境ごとにそれぞれに様々な「あたりまえ」が植え付けられていきます。

 

親しい人や深い関係、強い影響を持つ相手から受け取った当たり前は、まるで自分の一部かのようになっていることさえあります。

 


あたりまえの息苦しさ

今、あなたの感じている生きづらさや苦しさ、理由の分からないしんどさ、その背景にはもしかすると

生きてゆく中で植え付けられた「あたりまえ」が潜んでいるかもしれません。

 

例えば・・・

・親の言うことをきいて良い子でいるのがあたりまえ

・沢山友達や知り合いを作るのがあたりまえ

・学校は休まずに行くのがあたりまえ

・会社のために残業をするのはあたりまえ

・どんな仕事や課題にも前向きに取り組むのがあたりまえ

 

それも一見よくあることのように見えますが、あなたの価値観や気持ちと本当に一致しているでしょうか。

「なんか違うよなあ」と違和感を持ちながら、「だけど、合わせられない自分が悪い」「自分がおかしい」と感じて責めてしまっているところはないでしょうか?

 


あたりまえに合わせなくて良い

世の中はだんだんと価値観が多様になり、社会の構造も複雑化していると最近はよく言われます。

 

にも関わらず、いまだに特定の価値観を正解かのように求められる場面は少なくありません。

求められる価値観が、自分の想いや考えと一致していれば特段の問題はないように感じますが、

求められる当たり前によって辛くなってしまったり、苦しくなっているようであれば無理に合わせる必要はありません

 

どこかに苦しさや生きづらさを感じているの時には、身の回りにある「あたりまえ」に縛られていないか疑ってみること、

そして自分が少しでも安心できて納得出来る選択肢を選んでゆくことは、自分を守るための、自分を大切にするためのとてもすてきな行動だと思います。

 


おわりに

とはいえ、なかなか一人であたりまえや自分の気持ちを見つけて見つめる作業は難しいことがあるかもしれません。

 

そんなときはカウンセリングを利用することがおすすめです。

自分の置かれた状況や感じる気持ちを見つめながら、少しでも自分を認められる選択や安心できる環境はどんなところかカウンセラーと一緒に考えてみませんか?